精神修行というのを基本的に疑っている。

精神修養とか精神の修行だとか・・
そういうのは全部ムダというか、ウソくさいと思っていますね。
たとえば千日回峰行なんてのが典型です。
あれは最終的に「大阿闍梨」サマとして、一生生き仏として崇められるわけです。
努力はすさまじいし、我慢強いんでしょうけど「東大いって出世しよう」というようなことと同じな気がします。
「オリンピック金メダリスト」的に立派ではあるが・・精神が立派かはわからんという感じ。
本当の修行というのは、たとえばガンになるとか半身不随になるとか、そういう大病を乗り越えて生きるか・・
もしくはそのまま死ぬことにある気がしますね。
病気を乗り越えても別に尊敬されたりはしないですね、まず。
同情されて気遣われることはあっても。
普通以下になって、また普通に近づいただけ。もしくはそのまま死んだだけ。
でも、そこにこそ真の精神修養がある気がしますね。
健康なやつがチョットのあいだ滝に打たれて我慢しました!精神修養です!・・なんてアホじゃないですか笑
バリバリ健康だったのに全身にガンができて・・とかの時に・・
本当に己とは何か?真実の人生とは何か?を、最高に苦しみながら、最悪のタイミングで全てを失いながら・・
血肉と内臓、糞尿にまみれて考え、答えを出す。もしくは出ないまま苦しみの中で死ぬ。
これが修行でしょうな。
だから精神修養したい!とか浅はかに口にするやつがキライなんですよね。
そんなこと言えないほど苦しまないと。
そのときには滝の効果なんてでないよ笑

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