強くなる秘訣の話。※やや追記あり。

強くなる秘訣の話。※やや追記あり。

強くなることには一応の意義があります。
家にいても街を歩いていても「突然なすすべなくボッコボコにされやしないか」「女房子供もろともやられないか」という不安は全然よぎらない(自分はいないから元々よぎりようがない笑)
たったそれだけのこと?だが、生存本能に根差した不安の払しょくというのは心地よいものです。
またそれを欲する老若男女はゴマンといるわけでね。これは特技としては最高に近い特技なのです。
さて強くなる秘訣。
「いま忍者」という、武神館宗家の初見先生の本にこういう記述がある。
「(手紙で)初めまして、米国で空手道場をしている○○流空手7段のAと申します。米国ではあなたに習ったというニワカ忍術のセンセイが勝手に道場を構えて教えている現状をどう思いますか。武道の修業とは千日万日の修行を経ないと完成しないということが分からない、浅はかなガイジン達が歯がゆいかぎりです・・云々」
初見宗家答えて曰く
「そういう輩がいるのは承知しているが何とも思わない。戦国時代は武道なんて習う暇もなく戦場に駆り出され、何十年と生き残ってきた猛者に勝たないと生き残れなかった。何十年も習ったのちにやっと強くなれて、実戦で使えるようになる!なんてのは温室育ちのアマちゃんの発想だよ」
今手元にないけど大体こんな感じ。
武道の流派なんてのにこだわりだしたのは天下泰平の江戸時代以降で、それまではただ芸とか芸術とか言っていて・・ようは日常の技術で名前がどうとか誰が考えたか云々なんて気にならなかったようです。
本当に命がけの状況になれば・・みんな死に物狂いで頑張るし知恵を絞るもんです。
教えてくれ・・なんて言ってる間にも敵の矢玉に当たるも八卦状態。。
そういうことで・・強くなる秘訣は自分の中にあり!
臨済禅師いわく「経典は不浄を拭う紙に如かず」「釈尊は年老いた坊さんに過ぎない」
「今を生きるお前の中の輝きこそが釈尊そのもの。習うことなんて元々ない。すべてマヤカシの類よ。お前はただフツーにしていろ」
ま、そんなもんじゃないでしょうか。基本はありますがね。どっちに向いた基本なのかも含めて・・
この宇宙でたった一人の自己の研鑽、ということだと思います。
どんな状況でもフツーにしてる・・ということは修行しないとできない、というのがパラドックス!
坂本龍馬を斬った男は剣術的には「二流以下」で「免許目録などは据え物を切るより簡単」と言い放ったのもパラドックス!

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