月別アーカイブ 2021年3月26日

最終的には内気の状態の問題。

先日も有名柔道家の方が若くしてなくなりましたが・・

激しすぎるスポーツは体の消耗も大きいし、気の流れが生涯悪くなるとか、そういう怪我を負う場合もありますね。

今日も相撲で全身まひなんてニュースありました。

だからこそ感動するとか見世物として成立するともいえるし、そこは安全性を高めればいいというものでもない問題ですけどね。(相撲取りは内臓がそもそも・・)

長生きこそ至高ともいえないが、死ぬまではなるだけ健康でいたいもんです。

全身の協調が高ければケガしにくく、また気の流れが滞らないために内臓や脳にもいい。

戦うというのも最終的には内気の整いとか、内三合に帰結する。

護身術も気功も結局同じようなもんで、どこを切り取るかでしょう。

女性でも内三合のレベルが高ければかなりいくはず。

力というか、エネルギーの通りがいいかどうかですね。

健康なら人生70点でしょう。メシ食ってうまいなら充分いい人生です。

あと30点は愛情とか経済的なことかな・・

愛情もね、裏切られたりケンカしても、また再構築したりしていく人が幸せに近づくんですよね。

コロナ禍だけど、全方位に頑張っていきたいし、そのパワーを毎日の錬功で養いたいもんです。

最近また少しだけど毎日立禅したくてしている。また何かくる・・きている・・

小周天とは。

これは任脈と督脈が繋がっている状態、武道でいう正中線がしっかり通った状態と言える。

気分的にできた!という人は多いけども、本当にできれば簡単に吹っ飛ばされたりヨタヨタしたりしないので、これだけでほぼ武道の上級者というか、ほとんどのいんちき武道の先生よりだいぶ上になっていると思います。

(その気になってるだけの奇行のせんせいはヤメトケとしか言えないっす。。)

・・また姿勢由来の病気や不慮の転倒の危険性が下がり、免疫力の向上等、健康効果も高い。

これプラスいくつかの技術を覚えれば、もう五段になります。

強い弱いとか一切興味ない人でも、ここまでやって損は一つもないといえる。

動物は身体能力・バランス能力も高いけども、人間は退化してしまって、新たに呼び起こす訓練をしないことには身体能力は覚醒しないんですね。

能力開発・自己啓発としても効果的で、仕事や勉強をさらに充実させることができる。

動物的な強さや感覚が磨かれることはヒトの本能的欲求であり、そこを高める充足感を人生にプラスしてみてほしいですね。

大周天は狭義にはすべての経絡を全身つなぎ合わせた状態、広義には宇宙とつながるとか壮大な感覚。

いきなり大周天を目指すとだいたいクレイジーになるといわれるので、まずは小周天を目指してほしい。

出来そうでできないけど、出来るともともと出来たかのような、不思議でもなんでもない感がする。

あと、けっこういきなりクルんだよね。

小周天から大周天にいたるのにさらに何年かかかると思うんで、そこは永遠ではないが、やはり十年ぐらいはみていいんじゃないかと。

性格や体質等が大きく変わる。まとう気とかオーラが変わるらしい。

ただフワーっとやってると、30年やっててもダメなきがするんで・・

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大周天とは。

これは気功の修練によって内気と外界のすべての気が繋がってしまうことですね。

私はこの世界を大肯定するようになりましたよ。くそったれの世界と、しみったれの自分をですね。

うす汚さや悪、エロや未熟さがあってこそ自然ですから。

トラやライオンは風呂にも入らないし、殺生の日々に疑問も持たないだろうけど、何やら神々しくもあるように。

ちなみにライオンもクマも、メスを発情させるために連れ子を「子殺し」するんだよね。

ひきかえてみれば、人間の世はずいぶんとキレイというか、日本なんて極楽世界のようなもんですよ。

そこを、まずありがたがること。

壁に向かって胡坐かいて白目むいてるのが理想、なんて不自然の極みですから、そういうのにはまる必要はないと思う。

生きていれば、やること成すことすべて自然の気を味方につけているということだから・・

俺は地球(の一部)だ!ということで、実は何一つとして気に病むことはないと思います。

武術としても空間との一体感とか、そういう部分に出るからまさに極意と言えるでしょう。

風呂入ってすっかりキレイにしても、そのうちまたウ〇コしに行くみたいな・・

そういうのが人間で、それでも若いねーちゃんはいいなと思うのも乙なことであり、旨いものも食ったほうがいい。

好きに生きることですね。動物よりはキレイに生きるというだけの存在。

悟ったというのはウソか、むしろある種のウツ状態をいうのではないかと思うよ。

緊急事態収まったら、もっとエンジョイしたいとこです。全肯定の人生を!

気功師も作る!

健康法および気功法としてだけやるというのも全然OKというか、むしろそのほうがおすすめぐらいですね。

太極養生功とか、健康法および周天技法に特化したものもあるから・・

そっちに興味あればそっち専門でいくということで、完全に別枠でいきますね。

武道の場合はとにかく実戦で使えるということに特化してますから、そこまでやりたい人向けになります。

気功をやってる人は結構いると思うが・・

本当にできてる証拠を見せてほしいよね笑

気分でやってるか、雰囲気に浸ってるか・・が99%でしょう。

自分の邪気を払う、邪気を跳ね飛ばすような内気を得るというのはすごく大変です。

それができて初めて気功師を名乗ってもらいたいとこですね。

ウオーキングデッドというドラマに出てくる優しすぎる人たちは、いの一番に殺されるか、騙されるけど・・

死ぬとか騙されることが「間違い」とか「負け」とは言い切れないですね。

出し抜きあい、戦って傷つけ殺しあうことが「勝ち」か、とにかく生き残ることが「勝ち」か・・

そこも本当は非常に微妙な問題であり、「神」の領域な気がしますね。

生も死も、宇宙全体から見れば一瞬すぎて、ありふれすぎて・・

意識する必要もないほど軽くて無意味なもんだろうなぁ。。

修行とは何か。武道とはなにか。

私はたまに禅の話をしたりするけども・・

基本はあらゆる宗教とは距離を置くというか、禅もそーでもない感?がしますね。

昔のインドの聖者は悟りを開くと幸福の中で自ら命を断っていったそうですが・・

日本の禅僧は長生きするし、たいていは妻帯者でもあるし大寺の息子は金もあるしで・・半端な感もある。

厳しいといわれる修行期間も精進料理で意外とうまいの食ってたり、そういう箱にこもってムード出してる奴のような気もしたり。

昔は木喰い上人なんて習慣もあって、即身仏になるために穴にこもってドングリしか食わず餓死していく修行が日本にもあったんらしいけど・・

(ちなみになぜドングリかというと、ミイラになりやすいから)

そういうのなら認めるというか、わかる気がする。

ただ生まれてきて、そのうち死ぬ、ということそのものが誰にとっても修行だから・・

俺は修行したぜっ!ていうのは浅い感じがする。

何の悪事にも染まらず、加担せず自分は生きている!と思うようなやつが一番危ういと思うね。

生きてる奴は悪党で、長生きなんて完全な悪だと思うよ笑

植物なら殺して食ってもいいなんてこともないし、自分が植物なら絶対嫌だしね。

エゴイズムも欲望も悪いと知りつつも肯定しないと、じゃあ今死にましょうという結論以外成り立たないのが真理でしょう。

明日も生きようなんて、信心が足りないよ笑

我々は悪党どおし、いろいろ折り合いをつけつつ悪事を働いて、罰当たりにも生きてる。

しかも「幸せになりたい」だの図々しい事この上ないのであるが、それが人の性ですね。

武道というのは大毒をもって大毒を制するという、まさに人間の業に根差した修行と言える。

どうせ死ぬのにまだ死にたくない、ギリギリまでいい思いがしたいという、あさましい欲望の権化が我々の本性なのです。

その毒を使いこなす、毒を乗りこなすようになりたいもんですがね。

誰でもキレたいときもあるけども・・

アンガーマネジメントという最新の学問によると、6秒待てばいいそうです。

6秒待てば、動物脳(旧皮質)から人間脳(新皮質)に切り替わるんで、辛抱できるんだそうな。

人生も気分も6秒次第とおもえば・・どうにでもなるし、誰でもできるよね。

こういう科学や学問のほうが、座禅するより効果高い気もする今日この頃です。

修行なんて古臭い考えか、単なるパワハラじゃないか笑

いろいろ幅広く勉強すれば、人生は豊かになるし、カンフーも実は上達するよ。

形にとらわれず、真の技と心を身につけた人の勝ちだね。

演武や表演は時間のムダ。2

結局の話が本気で強くなろうとか、本気で強くしてあげようという、当たり前の人間としての心が教える側にないという、あまりにも悲しい事実があるんですよね。

人をだましても、実戦で死のうが、俺が今このシステムで儲かればいいんだと。

そういう人が人間教育をうたっていて、なぜか批判もされないというこの社会はいったい・・

素人が素人に教えてしまっているんだな。

この道場だけは最後の良心として存続していきたいと考える次第。

ただ乱取り慣れしてるというのじゃなくて、本質的にモノが違うようにならないと・・

本当はお金とれるレベルじゃないと思いますね。

健康・体調面でも全然ちがってくるから・・

うちの道場は安すぎるぐらいだよ。

お子さんでもいいが、よく考えないといけないな。

ただぶん殴れば人生の問題が解決するというもんでもなし、すべては最終的には心ですわな。

表面的にはいい人だけど・・じゃなくて、芯がいいやつになれということね。

おれはそこは自信あるよ。表面だってイケメンだけど笑

演武や表演は時間のムダ。

運動にはなるけども、強くは全くならないでしょう。

華美な動きは素人目にはかっこいいかもしれないけども、そういう癖がつくと隙が大きくて、むしろ大きくマイナス点をつけたいぐらいっすね。

日本の古武道においては、本当の戦い方はむしろ隠したそうで。

他流にみせる演武は実際とは似ても似つかぬ技を披露したのに、現存しているのはそこだから・・という理由で何となく意味ありげに雑誌に載ったりはするが・・

基本的に見せ技というのは使えるわけでも、古人の知恵の結晶でもなんでもない。

元々がフェイク技なんですから、当然ですが。

中国武術でも、秘密主義で家の中だけでやるとか、一子相伝とか身内だけとか・・

そういうのたくさんありますね。

中国拳法も本気でやれば散打みたいになるだけで、うちの道場の場合は総合格闘技とか逮捕術みたいになるだけですね。

要は・・

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     / iトヾヽ_/ィ”\      `ー’´     /

なんかそういう雰囲気に騙されてる人が多すぎだね。

じゃあやってみるか?と聞くと「いやボクは・・」って必ずいうか、やるんだけどド素人レベルという人を数えきれないほど相手にしてきたんで・・

もうそういうのやめよう、ということですね。

使えないけどカッコいいのがやりたい、というのは全否定しないが・・

教えるところは※実際のご使用はお避け下さい 等の添え書きを看板に書くべきだと思う次第。