昔はヨガとか瞑想とかも相当やってたというか、それメインの人生の時もありましたが・・
今はほぼやらないですね。前も言ったように、普段は練功をほぼやってないぐらいです。
繊細かつ敏感な人のほうが・・
すぐ感じが出てくるというか、神がかってきた感を持ちやすいんですね。
ただそれは大概は野狐禅のようなもので、まだ浅いか、一瞬深まった底に沈んでで出られなくなった状態なだけだと思う。
それはつらい状態であって、達してはないがいろいろ感じているだけに不安定になってしまう。
全身経絡の解放とか、そういう技法はある種の狂気をはらまないこともないとは思いますが・・
そうでない人もいるし、何ともメンタルに影響なくてもできる人もいる。この辺は体質でしょう。
夜郎自大みたいになりやすいですな、瞑想とか型だと。
だから推手をやってみなさいというんですね。軽くでいいから。
体に気を通すことができてれば、格闘技家までいかなくてもある程度のことはできるんです。
そういう実際的なことを重要視したほうが、もっとわかりやすく、間違っていかないと思う。
クンダリニーの覚醒とか小周天とかあるんですよ、実際。神秘体験といえばそうなやつ。
ただそれをやらなくてもできてる人もいるし笑 それも一部ですね。
推手で何回やっても負けなくなるのが・・一番まともな方向だと思いますね。
気の流れを自然につかんでいるという意味で。
それができないで気があるとかいうのは、ちょっと信じられないかな。
ちなみに組み技の格闘技長くやってる人もある程度できるが、根本のところはやはり違う。
そこまでいくにはやはり気の練功がいるし、気は確かにあるとそういう時に普段以上に感じますね。
また格闘技の感覚に頼っていると・・そこ以上にはまずいけないんですよね。
本当の気というのは常に空気のようにあふれていて、強化しなくても蓄えなくてもいい、
神秘とは程遠いような、アタリマエなものだと思います。
自然というのは汚いものもきれいなものも全部あるし、人間もそうですからね。
最後は無というか、気にもしない状態になるのがいいと思います。でもできてる、という。
宗教とかじゃなくて、そういう自己投資がしたい人向けのコンテンツだと思ってやっていますね。
軽いけど確かな技術と、あとは厳しくはないという。そんな感じです。
著者について