過去の気功の修行についてなど。追記あり。

今から20年ぐらいも前だが私はヨガと気功にハマりまくっていて、遠くまで習いに行ったり大型書店で本を買い漁ったりしていた。
その修行のほぼ全部が今思えばムダだったなと思うけど笑 当時はインターネットもやっていなかったし仕方がない。
(確固たる自信を得ないと生きられないような気がしていたんだな。そういう人一定数いるよね。一人宗教信者みたいな?
 これも今にして思えば、二十歳やそこらで自信満々な奴のほうが気がくるってると思う笑 フツーでよかったね。。)
今でもこの本ドウスカ?的に持ってきてくれる方もおられるが・・
ソレ系本のほとんどは科学的・医学的にはいい加減なことをかいていて、まじめにやったら十中八九カラダ壊すか気が狂うと思う笑
全身が痙攣していたたまれず、病院で超強力な注射をしてもらったのは今となっては思い出です(一発で効いたが何の薬だったんだろうな・・(;´∀`))
大学の図書館にあるほどの本(というのも当時の感覚で、今思えばエロ本でもない限りあると思うが・・)だからいいとかも全然ない。
人間過度の身体的・精神的ストレスがかかると幻覚のようなものや幻聴を聴いたりする、自分ではコントロールが効かなくなる、ということは身をもって分かったけど。7年ぐらいはその雰囲気に悩まされるほどのダメージを負ったね・・意味なかったけど。
精神神経症で長年くるしんでる方は、そういう「開けてはいけないトビラ」や「相手にしてはいけない感情」と、無意識にガップリ四つに組んでしまっているのである。
どうするべきか?
気にしない、ということはもうできないのである。気づいてしまったのだから。
だからもっと深く自分を知るしかない。意識的に。
ではしかし、深く知ったらどうなるかというと・・どうもならない笑 ←ここテストに出ます!
道元禅師が北朝鮮の漁民よろしく命がけで中国に渡り、修行をし、結局なんもないことに気づいてもどってきたのと同じ。
偉かろうがカネあろうが、アイドルだろうが・・くうねるだすをループしてる間抜け野郎にすぎないし、エロ動画漁ったりして生きるしかすべはない。
成功してレクサス買って走ろうが、対向車の軽が完全にヨソ見して突っ込んできたら終了になる存在でしかない。
みんな永久にアヤウイのです。死ぬまで・・
だーから修行より働けってこと。もしくは勉強。まじめにやってOK。
超能力はないが、うちのお客さんはリアルに気象をコントロールする術を研究していたよ。某一流理系大学院でね。
瞑想でそんなこと絶対できんぞ!  できるのはせいぜい確かな自己の発見だな。
私が立禅よりやたらに馬歩をすすめるのは・・これキツイから長時間できないんだよ。勘違い君になりにくい。
それでいて腰が決まってくる。ボディがまずできてくるんだ。
まぁそういうことなんだよ。細かくは個々人に合わせて入門したらやっていくけど・・
私の言う通りやってれば変なほうにはいかないよ。洗脳してんじゃなくて、といてんの。
結局何もないから安心しろよ、とね。
自分を掘り下げなくちゃいけない時が、誰の人生にも必ずある。そのためのトレーニングみたいなもんだ。
強くなるしバランスはよくなる。自信も出る。なにより健康になる。それで充分だろ? 
神様は(少なくもこの世には)いないみたいだし自分次第だ。
体験と入会はいつでもできる。待ってるかもしれないし、やってるかもしれない。縁があったらあいましょう。
追記
その後気功整体の学校に大枚をはたいて通い、また本場中国の意拳や太極拳などを修行しなおして現在に至る。
そこで気づいたのは・・立禅や気功ぐらい独学では身につかないものはないということ笑 
一人練習だが一人ではムリという矛盾した修行法なのです。
しかし身につこうが身につくまいが、人生はかけがいがなく・・何を棒に振ろうが生きる価値は死ぬまであるということ。
その一助、あるいはその暇つぶしの一環として、健康法として取り組んでもらえば幸いです。
あまりキバラナイことです。私は楽しいオトモダチであって、大したもんじゃないし。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA