これは難しいし、自信を失ってしまえば自分の根本から見直しして作り直さないといけないし、それなりに結果を出さないといけないということになる。
ほとんどの人はゆるぎない自信などないし根拠もないが、そこまで自己が崩壊するほどの問題に直面しないか、うまく逃げているか、周りが助けているために何とか生きれているのである。
普通より敏感であったり孤独だったり、運が悪いとか周りが悪い等で完全にムコウに行きかけると・・非常にやっかいである。
つまりこれは人間本来の根本問題について考え、答えを出すという、最高の修行をクリアするという意味では千日回峰行のような厳しい行になるからです。
ここでヘンな先生に習うとか、ヘンなことを独学でやり始めると・・
むしろ日常生活もままならないレベルに精神に変調をきたすことになりかねず、
慎重でなければならないし、そこまでいく余裕のない状態ならば、まず一旦休んで治療に専念する等の処置がいると思う。
こういう人を食い物にする気にはなれないのは、自分の経験上どれほどこういう人が苦しいかわかるからです。
またこういう人は非常に頑固で、実は人の意見をあまり聞けないしね。客観視するというのは余裕の表れであって、余裕なければ常にドツボ。
最近もそういうタイプの方が相談?にきたけど、これ読んでたらまず全力で頭を冷やす、休む方向に行ってください。一切努力しないで、一回ゼロにしてみてね。
いまでこそ・・
例えばいつ何時戦うにしてもプロ格闘家だろうが何てことないというレベル、まして変なのに絡まれても微塵もビビらんということになったけど・・
当然ながら元々は全然ダメだったんでね、そこから新しい自分を構築していったわけで。もとはビビり症のほうだったと思いますね、少なくも内心は。
あと悩みも深いほうでしたし、対人恐怖もあったね。
今でも人はあまり好きじゃないし、完全に治ったというつもりも、そうなる予定もないが・・
いまなぜ自信が持てるかというと、自分の重心の位置がピタッと決まってて、そこから少しも崩れずにハイスピードでもスーパースローでも自由自在に移動できるから、ということもある。
これは戦いにおいて非常に重要というだけでなく、何か人前や舞台でやるとか、ここ一番のときに非常にラクになる。
そういう姿勢、あるいは丹田を作るというのは・・
実は格闘技ジムでは全く教えてくれないことなんですね。格闘技術ではないが、単なる心構えや気分的なものでもない。
その中間的技術であって、格闘技上級者でも大いに修行すべき部分だといえる。
もしくは最終的にそこしか修行の余地はない、ともいえるかな。
この道場の本当の意義はそこでしょうね。ある意味での本当の強さ、自己の心身の寄る辺を得るということでしょう。護身云々は二の次ともいえる。
自由推手とか自由攻防はカウンセリングみたいなもんで、ここを直そうとか自分はこういうとこあるな、という気づきを持って帰ることが意義でしょう。
一つの競技を極めることもいいと思うが、もっと普遍性のある何かをつかみ取れば・・
きっと人生がラクになると思うけどね。
ただ頭を使うんであって、なんとなくやってもほとんど意味ないのと、ちょっとやったぐらいじゃ何事も一人前まではいかないもんだから・・
その辺は腰を据えて、焦らず一歩ずつ、また確かな納得感とともに成長することが重要だと思います。
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年末年始もやってるヨ!
追記
みんな何か役割があって生きてるんじゃないかと思うし、全部つながって〇になって生きてるんじゃないかとは思うが・・
私自身はまだまだ全く未熟で、いろんなトラウマも乗り越えられず、それを体現して愛情深く生きることができないでいる。
ただ強くなったところでそうなるだけだという反面教師にしてもらいたい気もあるよ。
しかしそれもまたオツなとこもあったりするのが人生の深みなのであって・・
そこを面白がっていただければこのブログの甲斐もあるので結局は〇だというふうにも思うとこなのです。
2019年も2020年も、頑張って生きましょう!では。