真の護身術の習得というのも意味はありますよ。
完全にすべてには対応できませんが、近接戦闘になればどう来られても勝てる、というのは実はかなり人生を生きやすくする。
単純ですが、大金を持っているとかと似たような効果があるし、使ってもなくならないという意味では真の財産といえる。丸腰じゃないという感じね。
技を知っていても決まらないし、勝てないんで・・
自分の奥から湧き出るパッション=気と、技が一致しないといかんわけで。
そういう意味では教えて教えられず、習って習えないけども・・
なんとなく伝わるし、教わって身になるんですね、ある程度までいくと。
実は精神というのはどこまでいっても無限ループで・・

例えばこれで見ると10が完成かと思えますが、実は牛を捕まえて帰る途中で違う牛とすれ違って目を奪われてしまうとか・・
入てん垂手の帰り道に、見たこともないような足跡を見つけてタジロイデしまうとか・・
要するに修行の完成というのはない、という意味もあるらしいです。
河合隼雄さんは「河合隼雄という病気は一生治らない」「悪を抱えて生きろ」と言ってましたね。
これも「未熟であれば完成ではないわけでもない」という意味もあるでしょう。
牛を探しに行くやつもバカではないし、悟ったつもりになるのも大切な一過程であって笑うことでもない。
牛を見つけてもどうもないが、どうもないぞ!とスマしてるやつも全然どうもない、というオチなのです。
何かして自分なりに納得したいが、納得しても何てことないから結局日常を繰りかえす、どこにでもいるオッサンおばちゃんが一番正しいということになるような話でね。
普通に生きてれば全部正しいんであって・・
バカじゃできない、生きられないわけじゃないんだな。
むしろバカしかいないんで、気にしてもムダ。
バカにしてくるタイプのバカもいる、というだけで笑 誰も賢くはないんだな。
必要なのは健康、自分の命ぐらいか?
才能があるとかないとかも意味ない。才能がなきゃもう死んでる笑
完璧になろうとすることがもっとも完璧から遠のく行為だともいえるような話であり・・
それを言っても別に完ぺきではない、という無限ルーパーのお話でした。。
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