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投稿者:momijiro

精神の安定および本当の自信を得るには2

真の護身術の習得というのも意味はありますよ。

完全にすべてには対応できませんが、近接戦闘になればどう来られても勝てる、というのは実はかなり人生を生きやすくする。

単純ですが、大金を持っているとかと似たような効果があるし、使ってもなくならないという意味では真の財産といえる。丸腰じゃないという感じね。

技を知っていても決まらないし、勝てないんで・・

自分の奥から湧き出るパッション=気と、技が一致しないといかんわけで。

そういう意味では教えて教えられず、習って習えないけども・・

なんとなく伝わるし、教わって身になるんですね、ある程度までいくと。

実は精神というのはどこまでいっても無限ループで・・

例えばこれで見ると10が完成かと思えますが、実は牛を捕まえて帰る途中で違う牛とすれ違って目を奪われてしまうとか・・

入てん垂手の帰り道に、見たこともないような足跡を見つけてタジロイデしまうとか・・

要するに修行の完成というのはない、という意味もあるらしいです。

河合隼雄さんは「河合隼雄という病気は一生治らない」「悪を抱えて生きろ」と言ってましたね。

これも「未熟であれば完成ではないわけでもない」という意味もあるでしょう。

牛を探しに行くやつもバカではないし、悟ったつもりになるのも大切な一過程であって笑うことでもない。

牛を見つけてもどうもないが、どうもないぞ!とスマしてるやつも全然どうもない、というオチなのです。

何かして自分なりに納得したいが、納得しても何てことないから結局日常を繰りかえす、どこにでもいるオッサンおばちゃんが一番正しいということになるような話でね。

普通に生きてれば全部正しいんであって・・

バカじゃできない、生きられないわけじゃないんだな。

むしろバカしかいないんで、気にしてもムダ。

バカにしてくるタイプのバカもいる、というだけで笑 誰も賢くはないんだな。

必要なのは健康、自分の命ぐらいか? 

才能があるとかないとかも意味ない。才能がなきゃもう死んでる笑

完璧になろうとすることがもっとも完璧から遠のく行為だともいえるような話であり・・

それを言っても別に完ぺきではない、という無限ルーパーのお話でした。。

投稿者:momijiro

精神の安定および本当の自信を得るには 追記あり。

これは難しいし、自信を失ってしまえば自分の根本から見直しして作り直さないといけないし、それなりに結果を出さないといけないということになる。

ほとんどの人はゆるぎない自信などないし根拠もないが、そこまで自己が崩壊するほどの問題に直面しないか、うまく逃げているか、周りが助けているために何とか生きれているのである。

普通より敏感であったり孤独だったり、運が悪いとか周りが悪い等で完全にムコウに行きかけると・・非常にやっかいである。

つまりこれは人間本来の根本問題について考え、答えを出すという、最高の修行をクリアするという意味では千日回峰行のような厳しい行になるからです。

ここでヘンな先生に習うとか、ヘンなことを独学でやり始めると・・

むしろ日常生活もままならないレベルに精神に変調をきたすことになりかねず、

慎重でなければならないし、そこまでいく余裕のない状態ならば、まず一旦休んで治療に専念する等の処置がいると思う。

こういう人を食い物にする気にはなれないのは、自分の経験上どれほどこういう人が苦しいかわかるからです。

またこういう人は非常に頑固で、実は人の意見をあまり聞けないしね。客観視するというのは余裕の表れであって、余裕なければ常にドツボ。

最近もそういうタイプの方が相談?にきたけど、これ読んでたらまず全力で頭を冷やす、休む方向に行ってください。一切努力しないで、一回ゼロにしてみてね。

いまでこそ・・

例えばいつ何時戦うにしてもプロ格闘家だろうが何てことないというレベル、まして変なのに絡まれても微塵もビビらんということになったけど・・

当然ながら元々は全然ダメだったんでね、そこから新しい自分を構築していったわけで。もとはビビり症のほうだったと思いますね、少なくも内心は。

あと悩みも深いほうでしたし、対人恐怖もあったね。

今でも人はあまり好きじゃないし、完全に治ったというつもりも、そうなる予定もないが・・

いまなぜ自信が持てるかというと、自分の重心の位置がピタッと決まってて、そこから少しも崩れずにハイスピードでもスーパースローでも自由自在に移動できるから、ということもある。

これは戦いにおいて非常に重要というだけでなく、何か人前や舞台でやるとか、ここ一番のときに非常にラクになる。

そういう姿勢、あるいは丹田を作るというのは・・

実は格闘技ジムでは全く教えてくれないことなんですね。格闘技術ではないが、単なる心構えや気分的なものでもない。

その中間的技術であって、格闘技上級者でも大いに修行すべき部分だといえる。

もしくは最終的にそこしか修行の余地はない、ともいえるかな。

この道場の本当の意義はそこでしょうね。ある意味での本当の強さ、自己の心身の寄る辺を得るということでしょう。護身云々は二の次ともいえる。

自由推手とか自由攻防はカウンセリングみたいなもんで、ここを直そうとか自分はこういうとこあるな、という気づきを持って帰ることが意義でしょう。

一つの競技を極めることもいいと思うが、もっと普遍性のある何かをつかみ取れば・・

きっと人生がラクになると思うけどね。

ただ頭を使うんであって、なんとなくやってもほとんど意味ないのと、ちょっとやったぐらいじゃ何事も一人前まではいかないもんだから・・

その辺は腰を据えて、焦らず一歩ずつ、また確かな納得感とともに成長することが重要だと思います。

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年末年始もやってるヨ!

追記

みんな何か役割があって生きてるんじゃないかと思うし、全部つながって〇になって生きてるんじゃないかとは思うが・・

私自身はまだまだ全く未熟で、いろんなトラウマも乗り越えられず、それを体現して愛情深く生きることができないでいる。

ただ強くなったところでそうなるだけだという反面教師にしてもらいたい気もあるよ。

しかしそれもまたオツなとこもあったりするのが人生の深みなのであって・・

そこを面白がっていただければこのブログの甲斐もあるので結局は〇だというふうにも思うとこなのです。

2019年も2020年も、頑張って生きましょう!では。

投稿者:momijiro

気功の修行についてなど2

「アタマがおかしくなるならやりたくない、やらせたくない」という人がいたけど、これはどこを縦読みしたのかな笑
そういうトンデモ本に影響されてしまわないようにね!という注意喚起をしたまでです。
そもそも気功や瞑想なんかやらない人のほうが、よっぽど沢山その手の病的状態に陥っている。
澤木興道禅師曰く
「『座禅すると妄念がわく』というものがいるが、座禅していればこそ気づくのであり、ダンスでもしていれば虫がひっついていても気づかん」
深く考え込むことなく、死ぬまで楽しく明るく生きていければいいが・・人生はそこまで甘くないんじゃない?まれにいるかな?
どこかで噛みつかれひどい目に合うのは、あんまり考えずダンスしてきた人のほうじゃないかと。
フツーの社会生活にこそ危険がたくさんあるのは前回も書いた通りで、会社や顧客、家族親族にモンスターがいるだけでなく・・
自分の内面にこそ最悪のモンスターが潜んでいるということ。←ここもテストに出ます!
自分だってオカシイっていうかな。お前が一番オカシイということもある笑
そういうことが分かっていればむしろ対応力は上がるとみていいでしょう。
武道というのは平常心だとか胆力もいるし、非日常の心で日常を生きるという精神が必要なので・・
人生とは何か?極限の人間性とは?みたいなことまで考えるわけです。この平和な日本の中で、ね。
少なくもうまく減量して、その時だけルール守って勝ったらいいというものではないでしょう。
今日も明日も明後日も、何が起こるか誰一人知らない。考えてみれば日々命がけの戦いなのです。
その戦いをするツールがこのカンフー道場であって・・単なる格闘競技ともだいぶ違うんです。

空飛べる人いると思ってたなぁ・・このころ。今こんな歌売れるかね?
私は空は飛べないけど・・空を飛んでも会いに行きたい人になりたいです。前よりだいぶカドがとれてきました。

投稿者:momijiro

過去の気功の修行についてなど。追記あり。

今から20年ぐらいも前だが私はヨガと気功にハマりまくっていて、遠くまで習いに行ったり大型書店で本を買い漁ったりしていた。
その修行のほぼ全部が今思えばムダだったなと思うけど笑 当時はインターネットもやっていなかったし仕方がない。
(確固たる自信を得ないと生きられないような気がしていたんだな。そういう人一定数いるよね。一人宗教信者みたいな?
 これも今にして思えば、二十歳やそこらで自信満々な奴のほうが気がくるってると思う笑 フツーでよかったね。。)
今でもこの本ドウスカ?的に持ってきてくれる方もおられるが・・
ソレ系本のほとんどは科学的・医学的にはいい加減なことをかいていて、まじめにやったら十中八九カラダ壊すか気が狂うと思う笑
全身が痙攣していたたまれず、病院で超強力な注射をしてもらったのは今となっては思い出です(一発で効いたが何の薬だったんだろうな・・(;´∀`))
大学の図書館にあるほどの本(というのも当時の感覚で、今思えばエロ本でもない限りあると思うが・・)だからいいとかも全然ない。
人間過度の身体的・精神的ストレスがかかると幻覚のようなものや幻聴を聴いたりする、自分ではコントロールが効かなくなる、ということは身をもって分かったけど。7年ぐらいはその雰囲気に悩まされるほどのダメージを負ったね・・意味なかったけど。
精神神経症で長年くるしんでる方は、そういう「開けてはいけないトビラ」や「相手にしてはいけない感情」と、無意識にガップリ四つに組んでしまっているのである。
どうするべきか?
気にしない、ということはもうできないのである。気づいてしまったのだから。
だからもっと深く自分を知るしかない。意識的に。
ではしかし、深く知ったらどうなるかというと・・どうもならない笑 ←ここテストに出ます!
道元禅師が北朝鮮の漁民よろしく命がけで中国に渡り、修行をし、結局なんもないことに気づいてもどってきたのと同じ。
偉かろうがカネあろうが、アイドルだろうが・・くうねるだすをループしてる間抜け野郎にすぎないし、エロ動画漁ったりして生きるしかすべはない。
成功してレクサス買って走ろうが、対向車の軽が完全にヨソ見して突っ込んできたら終了になる存在でしかない。
みんな永久にアヤウイのです。死ぬまで・・
だーから修行より働けってこと。もしくは勉強。まじめにやってOK。
超能力はないが、うちのお客さんはリアルに気象をコントロールする術を研究していたよ。某一流理系大学院でね。
瞑想でそんなこと絶対できんぞ!  できるのはせいぜい確かな自己の発見だな。
私が立禅よりやたらに馬歩をすすめるのは・・これキツイから長時間できないんだよ。勘違い君になりにくい。
それでいて腰が決まってくる。ボディがまずできてくるんだ。
まぁそういうことなんだよ。細かくは個々人に合わせて入門したらやっていくけど・・
私の言う通りやってれば変なほうにはいかないよ。洗脳してんじゃなくて、といてんの。
結局何もないから安心しろよ、とね。
自分を掘り下げなくちゃいけない時が、誰の人生にも必ずある。そのためのトレーニングみたいなもんだ。
強くなるしバランスはよくなる。自信も出る。なにより健康になる。それで充分だろ? 
神様は(少なくもこの世には)いないみたいだし自分次第だ。
体験と入会はいつでもできる。待ってるかもしれないし、やってるかもしれない。縁があったらあいましょう。
追記
その後気功整体の学校に大枚をはたいて通い、また本場中国の意拳や太極拳などを修行しなおして現在に至る。
そこで気づいたのは・・立禅や気功ぐらい独学では身につかないものはないということ笑 
一人練習だが一人ではムリという矛盾した修行法なのです。
しかし身につこうが身につくまいが、人生はかけがいがなく・・何を棒に振ろうが生きる価値は死ぬまであるということ。
その一助、あるいはその暇つぶしの一環として、健康法として取り組んでもらえば幸いです。
あまりキバラナイことです。私は楽しいオトモダチであって、大したもんじゃないし。

投稿者:momijiro

気功と武術について。

前にも記したと思うが、昔はヨーガとか気功に全精力を傾けていた時期もある。

主には本による独学、あと有名な先生に遠くまで習いに行ったり、限界まで断食したこともある笑
やってみてわかったのは・・

マトモなのは少ないということ。真似すべきじゃないものが多い。
肉体を栄養不足にして弱化させた結果強くなる、あるいは健康になる、とかは科学的に無理でしょう。筋力は少なくとも維持、可能なら強化するほうが正しいし、栄養が足りなければ確実に脚気等の病気になる。
武術でも気功・あるいは禅や神仙道などの宗教でも、法悦だとか悟り、見性悟道、神との一体化等の記述があるが・・
大概は単なる文学的脚色であったり、過剰なストレスや疲労等によるドーパミンの異常分泌による幻覚や妄想であったりでしかなく、具体的目標にはできないだろう。
(千日回峰行の行者いわく「毎日現前に悪鬼が現れ邪魔をするが、神仏が現れ守ってくれるのが見えた等々)
例えば丹田あるいは小周天・大周天という言葉はこの道では有名だし
「その気になって出来てるつもり」でいることは簡単である。
自分も数年前まではその一員だったと告白しよう。
しかし実際にできると、全く世界が変わるというか・・
立っても歩いても、あるいは素早く動いても「非常にしっくりくる」。
これは全然ちがうし、「滝に打たれてたら急に黄金体になった!」とかいう
一時の幻覚?とは全く違う、生涯続く感覚なのであります。
ちゃんとやれば、ですね。
とにかく・・正気を保っていただきたい笑
達人を目指して廃人になった人を何人か知っている・・無意味な「修行」を続けないこと。
まず推手もできないのに丹田ができてるわけがない!
ちゃんといつでも証明できないといけないし、フツーに強いはずなのだ。
強くなることを目的にしてないのに強くなってしまっている。
これが丹田開発の面白いところなのです。変な本に騙されるな!
この手のことに興味ある方は私のところで無料体験して、それから考えてみてほしい。謎の宗教ではないから笑
いつも天の声がきこえる・・なんて人とトモダチにならず、私とトモダチになろう!
そして現実的な努力を始めることですな。けっこう大変だけど面白いよ☺
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投稿者:momijiro

武道武術と気功・瞑想および精神世界について。またその危うさについて。※追記あり。

昔は武道だけじゃなく気功やヨガを習いに行ったり、本を見て独学で断食したりして笑 そういうのに相当コッタ時期もありますね。
とくに立禅からの小周天・大周天に関しては、まぁ日本でもこんなに頑張った人いるのかというぐらい・・
20代前半のころは一日五時間ぐらいやりましたからね。あんま意味なかった気がするんですが笑 体調悪かったし。。
なんでこんなこと書く気になったかというと・・昨日の19人殺しの容疑者を見て、ですね。
彼は大麻をやったそうですが、昔ヒッピーと言われる人が「瞑想なんて無意味。大麻なら2分で天国」なんて言って・・
ようは普通じゃない精神状態を体験して、普通じゃない人間に進化したかのような感覚に陥ってしまったわけですね。
心理学者の河合隼雄氏はこれを「高山病」と表現していましたね。
コツコツ修行して登るんじゃなく、ヘリで行っちゃって一気にやばくなり、対処法も知らない状態。
武道の世界では武神館の初見良明師が
「武道はのめり込むと精神病になる。自分は弱いという不安神経症になったり、誰かが襲ってくるという被害妄想狂、自分は誰よりも強いという誇大妄想・・。それらに一通りかかって、なおかつマトモに戻ったものが達人になる」

・・という趣旨のことを著書で述べておられますが、まさに至言であると思います。
道元禅師も宋まで命がけで行って死ぬほど修行して、結局空手還郷ですからね。
実は普通の人がほぼ一生体験しないような感覚に、瞑想とかでいけるんですよね。ここで勘違いする。
それはラリってるだけだと思う。あるいは酒に酔って気が大きくなってる状態ね。
結局「素」が一番強いんじゃないですかね。武道の動きでも、作り物感があると弱いというかね。
またアツくなりすぎてもダメというね。
もし世の中を変えたいなら・・泡沫候補でも選挙出たらいんじゃない?あるいは会社作ってのし上がるとか・・
※ちなみに千日回峰行2回もやった酒井雄哉和尚も「欲望は消えない」「特殊能力はない」といい、一日一日を大切に・・なんて、
 そのへんの校長がみんな言いそうなこと言ってるだけである。
追記
個人的には精神的な修行は無意味というか・・やるとむしろバチが当たるきがする笑 
人間以上のものになりたい、普通はイヤだというというようなオコガマシイ奴に向けた、神仏のバチが。
寿司屋で修行した・・とかならいいけど。

投稿者:momijiro

気の医学のしくみと、本当の怖い話2

気功は危険なものか、というと、そうでもないです。
日常動作のすべて、行住坐臥、いつでも人体に気が流れている以上、つねに気と付き合わざるをえない。
誰でも気功を修行している、気が人生を支配している、という風にもいえると思います。
ようは火のようなもので、上手に付き合う必要があるというだけです。
気を集めすぎてもいけないし、必要以下に減らしてもいけない。
腹八分の気の状態がベストなんですが、何回か「ハラくだし」しないと按配がわからないですね。
これは自得しかありえません。
また、意識とカラダの関係性を知る、ということは、あらゆるスポーツに通じるものでしょう。
また日常生活を送るうえでも非常に有意義なはずです。
がむしゃらな独習は避け、経験豊富な師の助言をうけていけば、基本的には何の問題もないはずのものですね。

投稿者:momijiro

気の医学のしくみと、本当の怖い話

気は、中医学の根幹となる概念です。
「気のせい」とか、「雰囲気」という意味でなく、エネルギーとして実態としての気。
これが全身を血液のごとく流れて生命を生命たらしめていて、これの滞りが病気、気が消えてしまったら死亡、ということになります。
科学的に言うと何の根拠もない与太話、ということではありますが・・
昔の人はそう考えていたんですね。
気功を練習すると、やがてそれが実感できてきて「ああこれが気か、なるほど」と合点がいくようになります。
ただ私は、あまり人に、とりわけ整体をお受けになるお客さまにはすすめていないのですね。
これは、気功の練習というのは、ある種の禅の修業のようなものだからです。
もともとが、体の弱い、とりわけ自律神経系の症状(不眠・精神不安定等)をお持ちなら、修行には耐えられないと思うからです。
それはアンタがやさしく教えてあげればすむ話だろ・・と思うかもしれませんが・・
それは違います。誰にも厳しくなんかしていないですから(笑)
そうではなく、気功というのは、いわばラジオのチューナーを大自然と合わせていく・・というような作業なんですね。
そして、その「音」を聴いて、「正す」ことができるのは、実は本人だけなんです。
この辺はまさに禅の修業そのものですね。
不健康等に悩む人ほど熱心に、本当の意味でも命がけでチューナーを回すでしょうが・・
やり方がまずく、ふとした拍子に、ポロっと、
そのチューナーをあわすネジが取れてアウト・オブ・コントロールになったら・・
これは非常にまずい状態です。
健康な人は、無意識に自然と調和しているのですが、いつでも体調が悪い方は、無意識的にまずい方向にチューナーを持っていって、固定してしまっているようなのです。
なら自然に合わせてあげればいい。気功整体術はその効果を狙ったものですが、残念ながら効果は一時的です。
人間というものは、本当は、実に危ういバランスの中で心身の健康を維持しているものなんですね。
何も気にせずサッサと道行く人々も、何かの弾みで「チューニング」がずれてしまえば・・
パッタリと何にも「聴こえ」なくなり・・
非常に治りにくい病気にくるしむことになるんです。
自分は本当は、上空2000Mで綱渡りを敢行する命知らずのように生きている・・ということに気づいたら・・
むしろ「正常」であるほうが「異常」だ・・なんて話はここまでにしましょうかハハハ。。。
もともと健康な方は気にすることはないですよ。
気にするとチューニングがずれるかもしれませんしね(笑)
逆に、気功に熟練すれば、どこからでもチューニングを合わせられるようになり、異常に健康になります。
まあパンドラの箱ですから、ある程度の覚悟と元気・若さがいると思います。