根本的には自己の気の流れを強化して健康になる、自信が持てるというようなことですが・・
いろいろ経験ある人には自発動とは?偏差が起きた場合は等々きかれたりする。
きほんは心理的な暗示ですね。手を触れもしないのに・・自分の意志ではないのに・・というのも
結局自己の気の流れが弱いために、相手やまわりの雰囲気の影響が強く出すぎている現象に過ぎないというのが、私の解釈ですね。そういうので不安をあおる系のとこは、おすすめではないなぁ。
どっかのお坊さんの修行中には悪霊が出てきて(目には見えない)、それと取っ組み合いをするという話を聞いたことがあるが・・
そういう思い込みというか、強い思念があると、そっちに引っ張られる人もいる。
でもほんとに修行してたら・・多分見えないんじゃないのかなと。もしくは気にしない。
司馬遼太郎の小説「果心居士の幻術」で・・
すごい幻術使いの修験者みたいな人がいて、最初主人公は完全に正気を失って全く幻の世界に何度も落とされるが・・
その後いろいろあって剣術の修行をして、ふと気まぐれに昔の場所に戻ると、なんともみすぼらしい爺さんが一人いるだけで何もおきない。
力をなくしたのか?と聞くと「いや、お前がもう効かなくなっただけ」と答える話がおもしろい答え。
そういうオカルトまがいの世界も面白いのも認めるし、自分も散々ためしたけども・・
ますますの迷いの世界というか、意味のない世界だとおもいますね。
現実のこの世界の中の自分をマシにしていくという、それが修行だとすれば修行で・・
(個人差があるが、自分はこれでも元よりは驚異的にマシになった。。自分で自分の気を整えるというのがもっともタイヘンであって、ヒトを治すほうがはるかにカンタン)
たとえば空手や拳法で優勝したとしても、禅の修行僧になっても、そうでもない。その先にもっと大きな意味がある気がして・・
今もやっているんですね。モノの違いを求めて・・
ということで。体験無料・入会随時(^^♪ 東洋的な本当の健康は気の修養。
一日も早くコロナが収まればいいですね。マンツーで対策しながらいきましょう。
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